愛犬
今年の春に愛犬を亡くした
結婚・妊娠・子育て・離婚・新しい環境の数々・DV他・・・
どんなときもわたしの側にいてくれてた
いてくれてた・・・か・・
自己中心な勝手な思いだな
愛犬の本心はどうだったのだろうか
しんどくてイヤだったのかもな
振り回されてストレスだったのかもな
外ばかり向いて愛が足りないと思っていたのかもな
でもわたしという人間をいつも冷静に側でみてくれていて、誰よりも一番わたしのことを分かっていてくれていたからか、命が尽きるときはそれは子どもと一緒のいつもの生活のなかで、突然過ぎたけど日常に溶け込んだまま穏やかで、そして深い悲しみと共に深い愛情も残して逝ったのだ
昨日実家の愛犬が体調悪くなり病院へ連れて行くと、即入院の今日手術になった
母が旅行に行くというので、愛犬のお世話をしに週末は実家に帰ってきていたのだ
2週間くらい前から食欲があまりなく元気がなかったようだが、元々神経質なのか小さい頃から数か月周期でそういう期間があったものだから、いつもの精神的なものなのかなと様子見をしていたのである
数日前には愛犬の様子の相談連絡があり、症状が表に出ていないのだったらとりあえず様子を見ようと答えていた
それがわたしが来た昨日に「んっ?」と感じる症状が出たものだから、すぐさまネットで症状を調べてみたところ当てはまる病名があり、これは病院だと急いで行ったのだった
その子は亡くなったわたしの愛犬の姉妹
淡々と診察と説明を受けて、手術前入院で愛犬を預け病院を出てからの帰り道、まだよく状況も分からず待ち時間が長すぎて退屈していた子どもが、やっと終わって帰れたうれしさから止まることなくわたしに話し続けてくるたわいもない言葉が全く一言も耳に入ってこず、ただ足元を見つめなんだか違う世界から話しかけられているかのような、同じ空間にいるんだけど私だけ空間がずれているようなそんな感覚で気付けば実家についていた
この感情・・なんなんだろう
それは家の中に入って出てきた
待ち時間が長かったのもあって疲れてコタツに座った瞬間、感情よりも先に涙が溢れ出てきた
溢れる寸前の水が入ったコップからちょっとした揺れで水がすっと流れ落ちるような
亡くなった愛犬も同じではないが症状があった
苦しそうではないのだが、症状があった
食欲もあったけど、確かに症状があった
でもわたしは病院に連れて行っていなかった
愛情がなかったわけでは決してない
今でも恋しくて恋しくてたまらない
会いたい
わたしは自分を大事にしていなかった
愛犬はそんなわたしを分かっていた
ずっと分かっていた
愛犬の死は、深い悲しみと深い愛情と気づきを残してくれた
会いたくてももう会えない
でも会いたい
ありがとう
はなちゃん
逃げるは恥だが役に立つ* わたしバージョン
半年前に住んでいた町を出た
誰にも何にも言わずに生活していたままの状態から引っ越した
逃げたのだ
いや、逃げれる助けがあったから逃げれたというのが正しい
”逃げるは恥だが役に立つ”という今大人気のドラマがあると耳にして見てみたが、とてもとても救われている
キュンキュンはもちろんだが、違う意味でわたしは救ってもらっている
逃げたことに罪悪感やそれはそれはいろいろな感情が引くことなく、ただひたすらわたしの心の中に蠢いていたからだ
逃げてよかったんだよ
視聴者のほとんどが目をハートにしてキュンキュンして見ているであろうテレビの前で、わたしは毎回違う意味で泣いている
もちろんキュンキュンもしているが♡
昨日前の町でとても仲良くさせてもらっていて、わたしの辛く苦しい時間を忘れさせてくれていた仲間のひとりと町を忽然と出てから半年ぶりに電話で話をした
ずっと心配してくれていて連絡をしてきてくれたのだ
うれしかった
「で、どうして消えた?」
「・・・・DVとストーカーでね・・・ ・・」
今は助けてくれた方と、ひとりの信頼できる友達ひとりとしか繋がっていない
誰かと話をするのは半年ぶりだ
しかも自分の話をまるっきりしてこなかったわたしが、自分のことを話すのだ
人生で最大の出来事のうちのひとつをだ!
いざ覚悟を決めて話し出したら止まらず、声を張り上げ辛い苦しことなのに明るいトーンで、しまいには笑い話なんかも織り交ぜながら・・
最後には今度会おうまで約束なんてしてしまい、1時間ちょっと機関銃のように話し切った
切って子どものお迎え行って帰ってきて数十分して・・・倒れた
横になってから動けない
町を出てからうつの症状は出ていたけど、一番ひどい状態になった
鉛のように重たい体
体勢を作る指令を脳に送る信号さえも重くて機能していないかのように、自分が一体どんな体勢で倒れているのかも分からなかった
そんな状態でも脳自体はしっかりしていた
脳に近寄ってくるものを遮断して、脳だけが機能しているかのように
その時わたしの脳が感じていたこと
辛い苦しい時こそ笑って明るいんだよね、わたしって・・
またわたしを知った
わたしがわたしを知った
悲しいのやらうれしいのやらなんなのやらの涙が溢れてきた
でも無機質ではなかった
あったかかったんだ
今日ネットで買った中古本が届いた
精神的に不安定な自分は分かっている
最初は認めたくない自分がいたけど、今はそう認めてる
わたしは心が不安定だ
無理せずゆっくりすればいい
でもそんな中でも生活は整えたい
子どものためにも
そこで心地よい暮らし関連の本を買った
数ページ目で手が止まった
大切にする生き方というのは、とてもシンプルで基本なこと
仕事も人間関係も住まいも服装なども自分が「心地よい?」で見ていくと、本当はどう思っているのか、求めているものはなにかっていうことに気付けるきがする
わたしの中の何かにまた触れて涙が溢れてきた
これはいい方向なんだろうけど、今までずーっといた私の中で歪みがでてきてバランスを崩してる
わたしは一体だれ?
わたしって本当はどういう人間なの?
自分らしさで生きれるまで
私の人生を生きてきて37年
たくさんのいろいろなことと大きくは離婚・DV・ストーカーを経験して、自分と嫌というくらい向き合って今までの自分らしさじゃない自分に気付いた
相当自分らしさを消して、相手優先で生きてきた
苦しかったな・・・
苦しいな・・・(現在進行形)
まだまだ抜けきれない
少しづつ
少しづつ
自分らしさ
自分を大切にすること
自分らしく生きれるまで
生きるぞ!!
私の心のなかや日々の出来事
子どもとのこと
母子家庭の生活
いろいろ・・・
ブログに書いていこうと思いました
私と同じように苦しんでいる女性へ
そして私のために