逃げるは恥だが役に立つ* わたしバージョン
半年前に住んでいた町を出た
誰にも何にも言わずに生活していたままの状態から引っ越した
逃げたのだ
いや、逃げれる助けがあったから逃げれたというのが正しい
”逃げるは恥だが役に立つ”という今大人気のドラマがあると耳にして見てみたが、とてもとても救われている
キュンキュンはもちろんだが、違う意味でわたしは救ってもらっている
逃げたことに罪悪感やそれはそれはいろいろな感情が引くことなく、ただひたすらわたしの心の中に蠢いていたからだ
逃げてよかったんだよ
視聴者のほとんどが目をハートにしてキュンキュンして見ているであろうテレビの前で、わたしは毎回違う意味で泣いている
もちろんキュンキュンもしているが♡
昨日前の町でとても仲良くさせてもらっていて、わたしの辛く苦しい時間を忘れさせてくれていた仲間のひとりと町を忽然と出てから半年ぶりに電話で話をした
ずっと心配してくれていて連絡をしてきてくれたのだ
うれしかった
「で、どうして消えた?」
「・・・・DVとストーカーでね・・・ ・・」
今は助けてくれた方と、ひとりの信頼できる友達ひとりとしか繋がっていない
誰かと話をするのは半年ぶりだ
しかも自分の話をまるっきりしてこなかったわたしが、自分のことを話すのだ
人生で最大の出来事のうちのひとつをだ!
いざ覚悟を決めて話し出したら止まらず、声を張り上げ辛い苦しことなのに明るいトーンで、しまいには笑い話なんかも織り交ぜながら・・
最後には今度会おうまで約束なんてしてしまい、1時間ちょっと機関銃のように話し切った
切って子どものお迎え行って帰ってきて数十分して・・・倒れた
横になってから動けない
町を出てからうつの症状は出ていたけど、一番ひどい状態になった
鉛のように重たい体
体勢を作る指令を脳に送る信号さえも重くて機能していないかのように、自分が一体どんな体勢で倒れているのかも分からなかった
そんな状態でも脳自体はしっかりしていた
脳に近寄ってくるものを遮断して、脳だけが機能しているかのように
その時わたしの脳が感じていたこと
辛い苦しい時こそ笑って明るいんだよね、わたしって・・
またわたしを知った
わたしがわたしを知った
悲しいのやらうれしいのやらなんなのやらの涙が溢れてきた
でも無機質ではなかった
あったかかったんだ
今日ネットで買った中古本が届いた
精神的に不安定な自分は分かっている
最初は認めたくない自分がいたけど、今はそう認めてる
わたしは心が不安定だ
無理せずゆっくりすればいい
でもそんな中でも生活は整えたい
子どものためにも
そこで心地よい暮らし関連の本を買った
数ページ目で手が止まった
大切にする生き方というのは、とてもシンプルで基本なこと
仕事も人間関係も住まいも服装なども自分が「心地よい?」で見ていくと、本当はどう思っているのか、求めているものはなにかっていうことに気付けるきがする
わたしの中の何かにまた触れて涙が溢れてきた
これはいい方向なんだろうけど、今までずーっといた私の中で歪みがでてきてバランスを崩してる
わたしは一体だれ?
わたしって本当はどういう人間なの?